Rights / 権利
小牧正英は死後、後継者以外に「小牧」を無断使用されないよ うに遺言書を残しています。
小牧正英は正式な後継者以外に「小牧正英」「小牧バレエ団」 の名前、功績およびそれに関する資料等の情報を業務目的で使用することを固く禁じています。
それらを利用する場合、利用者は内容について私的利用のための複製、引用等、権利者に認められた場合を除き、無断で使用する事はできません。
「小牧正英」「小牧バレエ団」の名前、歴史をバレエ団の宣伝、パンフレット等に利用することを固く禁じています。
「小牧正英」「小牧バレエ団」の名前、歴史を現在存在してい るバレエ団の公演記事に書く事を固く禁じています。
小牧正英 遺言公正証書 平成17年238号より
*「小牧正英」「小牧バレエ団」に関するすべての権利。
* バレエ活動に関する財産。
*「小牧正英」「小牧バレエ団」の歴史的資料、写真等及び遺言者個人の資料。
* 名称「東京小牧バレエ団」を使用させる権利。
父、小牧正英の後継者として私、長女 Marina K. が権利を相続しました。


名称「東京小牧バレエ団」使用経緯と条件
父、小牧正英の後継者として「東京小牧バレエ団」について明らかにしておきたいと思います。
「東京小牧バレエ団」の前進「東京ユニバーサルバレエ団」の創設者は父の18歳年下の末弟、菊池唯夫です。父は16歳の時に岩手県から東京へ上京、そのまま21歳の時に満州へ渡り13年後に帰国、唯夫と実家で過ごしたことはありません。父は普段の生活で唯夫とは交流していませんでした。(理由は遺言書に記載)
唯夫は一時期初期の「小牧バレエ団」に所属していましたが、退団後ショーパブ、地方のホテルで金粉を塗りショーダンサーとして活動していました。その後一時期中野で喫茶店を経営、マスターをしていました。後に「菊池唯夫バレエスタジオ」をはじめ、1987年に「東京ユニバーサルバレエ団」を創設しました。
1990年、唯夫から自分が主催するバレエ団に「小牧」を使用したいと要望がありましたが、父は完全拒否、何度も自宅に来る唯夫と会う事すら拒否しました。
小牧正英 遺言書より
『芸術のバレエの踊手、演出振付家としての小牧正英、小牧バレエ団の団長として明らかにしておくべきことがあり、バレエ界の今後のため、後生のため。家族のために私の考えなどを種々残しておきたいと思い、この遺言を作成しました。
私は、末弟の唯夫より、自分が主催するバレエ団に「小牧」の名前を付けたいとの要請が何度もありましたが、唯夫とは根本的にものの考え方、生き方などの価値観が違うので拒否しました。(中略)次の約束で唯夫の申し入れである「小牧」の名称の使用を許可し、自らも「東京小牧バレエ団」の名誉団長に就任することを承諾しました。』
父は唯夫の要望を1年以上拒否、最終的に唯夫が約束した名称使用料、その他条件(遺言書に詳しく記載)の申し出を受け入れ「東京」を付けた「小牧バレエ団」とは別物の「東京小牧バレエ団」の名称使用を許可、名誉団長に名前を置きました。(これは企業等が外部の人物を名誉会長に据えると同様、具体的な活動に関わっていないものです)
話し合いをした当時はインターネットがない時代でしたので公演1回(1日)につき名称使用料を支払う。年間で行う予定の公演数も算出し、年間で支払う名称使用料の合計金額を唯夫が提示。その他条件も約束した上で名称使用を許可をしたものです。しかし唯夫は1年目から約束を守らず父は大激怒、バレエ団公演には行きましたがその後唯夫とは一切話す事はありませんでした。
*現在のようにホームページで宣伝が出来る時代が来ることはまったく想像出来なかったので、公演の時のみ名称使用を許可。
「小牧正英」「小牧バレエ団」の歴史、功績を宣伝に使用する事は許可していません。
小牧正英 遺言書より
『東京小牧バレエ団と菊池宗についてです。
菊池唯夫の死後、菊池宗が東京小牧バレエ団の団長をやっています。「小牧先生がやるように」と言ったのでやるという挨拶状を各関係方面に出したようですが、私は一言もそんなことを言った覚えはない。』
母がこの事を菊池宗氏に確認しました。この人物は「菊池」と名乗る前、某財閥の苗字を名乗りその家族だと言ってた人物です。唯夫とショーダンサーとして活動していた頃から唯夫とは公私共に親しかったようですが、父と「小牧バレエ」とは一切関わりがない他人です。母が連絡をした際「自分が団長になればS財閥家がバレエ団の為にお金を出す。防衛庁の跡地にバレエ専用劇場の建設計画もある」と伝えました。本当にS財閥家の一員だと思っていたのでバレエ界に貢献するのであればと信用しそのままにしていました。
「小牧」の件は全て母が、2002年以降は私が「東京小牧バレエ団」関係者と話をしましたが父は一度も話すこと、関わることはありませんでした。
2002年
「自分が団長になればこのようになる。」と言っていた事が何一つ実現していなかったのを不信に思った父は名称使用料に加えて、絶対条件を加えました。
『名称「東京小牧バレエ団」を続けて使用するのであれば娘が関わり、その後継がせる事、そうでなければ「小牧」は一切使用させない』
私が伝え了承したのでそのまま「東京小牧バレエ団」という名称を使用させていました。
名称「東京小牧バレエ団」及び「小牧」の使用禁止
2017年
約束のバレエ団活動に一度も関わらせてもらえず、公演の知らせも来なくなったので弁護士を介して正式に「書面での契約と名称使用料未払いの支払い」を伝えました。バレエ団側代理弁護士から「娘には継がせない、未払いの名称使用料は払わない、小牧の名前はいらない」と回答が来たので「東京小牧バレエ団」名称使用禁止、「小牧」は一切使用出来ないと伝え、バレエ団代理弁護士から今後使用しないと回答を得ました。
2021年
当該のバレエ団の名称は変更されました。しかしながら変更後も沿革に創設者小牧正英(現在は変更)、小牧正英と「小牧バレエ団」の歴史、お貸ししていない小牧正英所有の写真、資料、デッサン等を無断使用し続けていたので、2021年調停を起こし「動産返還と名称使用に関して」の申し出をしました。
第1回調停でバレエ団側からあったのは「小牧はいらない、使用料は支払わない、資料は持っていない、話し合う事はない」との回答でした。
調停でバレエ団側弁護士が提出した2つの主張書面には調停員に悪い印象を与える為、小牧正英と「小牧バレエ団」がどれだけ評判が悪かったか、(バレエ団側主張書面より)「1987年に創立された東京ユニバーサルバレエ団も自ら「小牧」の名称を使用してまで活動を続けたいと考えたことは一度もない、小牧正英の名は、プラスになるどころか、マイナスにしかならないことは周知の事実だった」「地に落ちた正英の評判を取り戻してその名声を復活させ、今世に伝える」「正英に関わる悪いイメージを払拭させようと尽力してきた」などと長々と嘘と悪口が書かれている酷い主張書面でした。(書面あり)その後も調停期間中に通常では考えにくい行為があり、調停は2022年2月不成立で終了しました。
2022年4月
「週刊新潮」4月14日号に『「白鳥の湖」の水面下で醜い争い 名門「小牧バレエ団」乗っ取り劇』という記事が出る直前にバレエ団はホームページから「創設者小牧正英」と小牧正英の歴史と功績を一旦全て削除しました。
この取材で後継者である私に関して長年事実ではない酷い嘘を広げていた事が判明しました。(その他証言もあり)
引用:「週刊新潮 2022年4月14日号」記事より
「マリーナはアメリカンスクールに通っていたから、まわりはみな大麻中毒です。彼女が一緒に住んでいたドラッグの売人が逮捕されたせいで、小牧の自宅も警察に家宅捜査されたことがあった。逮捕されないように、小牧が一時期、彼女を渡米させていたくらいです」と、マリーナ氏にとって嘘八百を並べつつ、
「カツアゲが得意なマリーナは、いまは恐喝とたかりで生活をしています。これ以上、金銭を毟りとられたくないから、小牧バレエ団の商標を取得し、そのうえで、小牧の教えをバレエ団のメンバーに授けられたらと考えています」
同様の全くの嘘の噂を、父のお弟子さんはじめバレエ公演に来るファンの方々にも流していたことも判明しました。
*「小牧」名称使用の件で数回お話をした以外、個人的な交流は一切ありません。
2022年8月
「小牧バレエ団」と関係のないこのバレエ団(既に東京小牧バレエ団から変更済)が2022年8月に「小牧バレエ団」の商標を取得。と同時にホームページに「小牧正英」と「小牧バレエ団」の歴史と功績の使用を再開、小牧正英しか持っていない写真も無断使用しています。
『沿革』『バレエ団新たな歩み / 1990年、1996年』は事実ではありません。
『レパートリー』に「小牧バレエ団」の歴史を使用していますが「小牧バレエ団」はこのバレエ団とは関係がありません。
小牧正英は「東京小牧バレエ団」で教えたことはありません。名称使用料は未払いです。
*ここに書かれている「小牧バレエ団」は小牧正英が団長の「小牧バレエ団」(1947~1985)です。
2021年に商標登録された「小牧バレエ団」とは別の団体です。
父は生前「菊池宗には絶対小牧を語られたくない」と遺言書を残し、私に全てを託しました。私以外に「小牧」を継がせたいという考えは一切ありませんでした。
しかし父が亡くなると私の知らないところで父のお弟子さん達、父が携わった多くの団体、故郷奥州市、バレエ関係者やマスコミに「甥で後継者」「小牧先生に継承を頼まれた」と嘘をつき、インタビューにも答え、父の言葉、歴史も変えました。菊池宗は唯夫の養子になったと言っていましたが、菊池家では誰も事実を確認した者はいません。
現在の団長も父の功績を宣伝に利用する為商標を取得して「継承をしている」「直接指導された」振付に「小牧正英」と宣伝に利用しています。他人の功績を自分の利益の為だけに利用する行為はその芸術家の芸術を汚し侮辱する行為だと思います。
小牧正英の芸術は本人だけのものであり、継承出来ません。
小牧正英の考え 1978年 紫綬褒章 受章挨拶文より
今日の日本バレエは弟子たちや後輩が立派に活躍邁進しており、もはや私自身は特別やる必要がありませんが、しかしながら、受章を一画の契機にして、これから為さねばならないと考えているのは、劇場アカデミーに於ける舞台学の方法論の実践の仕事であります。舞台学の基本的方法論について、なぜ我が国には学問として移植されないでいる現状であるか、などについて目下その理由や原因を調査研究中です。
オペラにしろ、演劇、バレエにしろ、劇場アカデミーに於ける舞台学の一分野としては、俳優から演出者に至るまで基礎的必須課目であるにもかかわらず、それ等を全く無視して行われている今日の我が国の劇場芸術は、謂わば砂上の楼閣に等しい脆い基盤の上にあるものでありましょう。
それ故、未開墾になっているこの分野に開拓の鍬を入れる仕事に専念努力しなければならないと深い覚悟を決めております。
もとより菲才、浅学をも顧みずこのような野心に燃えるのは、やはり舞台人の義務を感じ、それはやむにやまれぬ精神のほとばしりでもあり、日本文化の向上発展を念願するからです。
*1986年 近代舞台芸術研修所 小牧バレエ設立 1988年より舞台学を教える。
1986年の遺言書
父は1986年に解離性大動脈瘤で一時危篤になりしたが、回復する事が出来ました。退院後遺言書と経歴、身上書を残しました。兄弟欄に母の弟二人の名前は入っていましたが、交流がなかった末弟唯夫の名前は入っていません。
小牧正英 遺言書より
私に関する事柄は妻眞紀子の自由意志に一任する。
長男、長女 母と相談し母の考え方を尊重する事を望む。
大病後死について時に考えることがあるので後日のために左記を記し死後のために役立つことになれば幸いである。
私の死は運命でありそれは神の意志のものであるから自分自身何ら悔いる事はない。
葬儀については皆様方にご迷惑がかかるから特に行う必要はない。但し家族のみでささやかな送別の会を催し父を偲び語らいはあってもよいと思う。
私の存在は日本に於ける劇場芸術の振興の義務を果すことに努力した。
イタリア・ルネッサンス以後のバレエをロシア人から指導されロシアン・バレエで修業、後日本に帰朝後バレエの本格的に正しく移植し紹介できたことは幸いであった。
半世紀以上芸術的仕事に従事したことは自らの意志ちいうよりも私の運命が自然の流れに添ったことによるもので開拓者の立場であったことは先祖の血を引く者であるからであったと思う。
幸福に日本国民が私の仕事を認め評価し昭和五十三年紫綬褒章下賜、昭和六十一年秋に叙勲に斯界最高位の勲四旭日小綬章を日本国天皇の璽により叙勲の光栄に浴びたことを誇りに思う。



商標登録に関して
商標は通常多くの場合、自分の会社名・団体名を取得します。
「小牧」は地名、苗字なので、「小牧バレエ団」の商標は取ろうと思えば誰でも取得出来ます(現在小牧バレエ団として活動しているバレエ団がなければ)。特許庁は小牧正英の「小牧バレエ団」の使用許可を出した訳ではなく、そのような権利もありません。2022年に取得した「小牧バレエ団」という商標は単にバレエ団名であり、法律上小牧正英の「小牧バレエ団」(1947~1985)とは一切関係がありません。
小牧正英のバレエに関する資料に関して
小牧正英遺言により
『バレエに関する資料について。
私の長いバレエの活動のなかで数多くの貴重な資料が存在した。(中略)これらは、日本はもちろんのこと外国においても貴重な資料と思われます。これは私物化、私用するものでなく、多くの人に公開してこそ価値があり、今後のバレエ界にとっても役立つものと思われる。私はこれらバレエに関する物や資料(デッサン画、写真、解説、原稿、舞台衣装など。)を他人に譲ったり、贈呈したりしたことはない。もし私の死後、そのようなものがでてきた場合には私の家族が小牧バレエ団の歴史、小牧正英の資料として管理するので戻すように望んでいる。』
*小牧正英所有の資料を「東京小牧バレエ団」関係者にお貸ししたことはありません。
遺言書、書面を確認されたい方はメールでご連絡ください。
Masahide Komaki left a will to prevent anyone other than his daughter Marina K. from using “Komaki” without permission.
Masahide Komaki strictly forbids anyone to use Masahide Komaki, Komaki Ballet Company’s name and history or any other information for publicity.
A Ballet Company former named “Tokyo Komaki Ballet Company” is using Komaki’s name and history on their Homepage and for publicity without permission.
This section explains why they were able to use the name “Tokyo Komaki Ballet Company”and the requirements to use the name, the reason why they were prohibited from using the name in 2017.
The Directors of this Ballet Company has been telling lies to many people, media, and organizations including National Ballet Companies which Komaki has worked with during his career.
Komaki has never communicated with the current Directors of this Ballet Company, they are not his students. Komaki has never taught at Tokyo Komaki Ballet Company,
The Law in Japan is very old, they do not protect artists after death. The Directors are taking advantage of the old law so they can use “Komaki” for fraud publicity.
For further information in English, please contact Marina K.
Contact: komakiballet1946@gmail.com